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悲しき酒(片々草抜粋)

 

 

 

 

 

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02-Jan-2013

明けましておめでとうございます。(7)
 早いもので、片々草も回を重ねていつの間にか半年、この新年号で七回目となりました。この間、「毎号楽しみにしている」というお褒めの言葉。「あの文章は筆がにぶっている、どうしたことか」という励ましの言葉・・・いろいろとご批評を賜りました。
 そして、それらの批評を聞きながら、つくづく感じた事は、同じものに対して意外と思うほど沢山の受け取り方があるものだなあということでした。もちろんそれぞれの批評については貴重な反省の材料にさせていて頂いたつもりです。
  
 ずっと以前、あることで「それは薄情だ」と言ったら「薄くたって、まだ情があるうちはいゝ。無情ということだってある」と云われたことがあります。
 この片々草も,読んで、批評して下さる方があるうちは、まだまだ捨てたものじゃない、と、自らを励ましながら、「心にうつりゆくよしなしごと」を書き綴っていきたいと思います。

        正月雑感               (7) 
  
 「風もなくええ正月じゃ」・・・今は亡き父が、ある正月の朝ふともらした言葉。
 多分、父のその当時は商売の方もまあまあ、家庭内にも何の問題もなく、すべてが順調に行っていたのだろう。
 商売をしていて大晦日も無事に済み、迎えた元旦の朝が快晴。風もなく、何か新年というだけで,昨日までと違った、まわりの空気までもが新しいような清清しい気持ちが「ええ正月じゃ」という言葉になって出たのだろう。

 しかし、大晦日と元日、昨日と今日と一体何が違っているのだろう。「快晴で風もなくいゝ日」というのは、一年に何回もあるはずである。結局違っていたのは、父自身の気持ち、その日を感じる受け取り方だったのではないか。

 ある本に次のような事が載っていた。
 次の絵の枠の中の四角が、一方は四角に見えもう一方はひし形に見えるだろう。だが中の四角はどちらも同じ正方形。まわりの枠のはめ方によって、見え方が違ってくる。試しに、中の四角はそのままにして、枠組みだけをはめ変えてごらんなさい。というのである。

 結局、人間のものゝ見方、感じ方というものは、同じ事実に対しても、それにどのような枠組をはめるかによって決まるのではないか。そして ”事実”は変えられなくても、枠組みのはめ方は変えられる。少なくとも正方形が正方形に見えるような「こころ」を持ちたいと思う。

        四捨五入              
  
 相当大きな計算業務で、 ”端数は四捨五入”というのがあった。無作為な対象に対して、計算結果を個々に四捨五入しながら数字を丸めていく。各ページ毎には、たまたま切り上げばかりがあったり、逆に切り捨てが多かったり。・・・ところが、これを一、000個も合計した結果は、何とちゃんと平均の数字になっているのである。あたり前だと言えば、それまでだが・・・。
 *
 世間には、子供が男の兄弟ばかりとか、逆に女の姉妹ばかり、とか言う人も案外に見聞する。
 ところが、誰も作為でどうこうする訳ではないのに、世界中の男と女の人口は、大体平均していて、特にどちらにも偏しているということはないという。
 自然の摂理,神の見えざる手によって、男女の数が半々だというのは、何となく判らないでもない。しかし、人間がその便利のために作り出した数字の合計結果が、落ち着くところに落ち着くということ・・・。
 世の中というものは、やはり、自然に、自然らしく振舞う事が、結局は無理なく万人の心に叶うということか。
 *
 利休の ”茶の心”に次のような言葉があるそうだ。「互いの心に叶ふがよし。しかれども、叶ひたがるは悪し」。ーーー当り前じゃないか、と言う前に静かにこの言葉を噛みしめてみたい。
           
        結  婚               
 
 昔、結婚式のとき、男は黒の紋付に羽織袴。女は純白のうちかけを着た。
 何故?。
 男は「私の今の気持ちは、これからもずっと変わりません。何色にも染まりません」。女は「お嫁に来た以上、あなたのおっしゃる通りに従います。何色にでも染まります」。という心意気を表したものだという。
 そして現代。しかも洋の東西を問わず、結婚式にやはり男は黒い服を着、女は純白のドレスを着る。その心を知ってか、知らずでか?。

(69・s・44・1)三十八歳