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02-Jan-2013

あ ゝ 中 年          (94)

 ゴルフに一00という数字の壁があるように、人生にも年齢の壁がある。
 まあ言ってみれば、男四十、女三十あたりがそのハシリというところかーーー。
 世に、これを ”中年”という。

 将棋の対局で言うなら、持ち時間のうち最初の半分までは ”X分経ちました”と告げられるのが、後半に入ると ”あとX分です”と告げられる。その ”あと、X分”の感じーーー。
 灼熱の夏の終わりの朝夕、ふと忍び寄る涼風に秋の気配を肌で感じる。そんな感じが中年の定義ででもあろうか。

 しかし、日本語で ”中年”といえば、ややわびしい語感であるが、英語で言うならミドル・エイジ・・・だいぶ響きが違ってくる。
 洋の東西を問わず、酒を飲んでの話題が、ヤングエイジはーーー女性のこと。ミドルはーーー専らヘルスということであれば、”いずこも同じ秋の夕暮れ”、というところか。

 歯を磨こうとして歯ブラシから歯磨きが落ちた。床を探したが見当たらない。たった今落としたのに・・・・とよく探してみたら、オナカに乗っかっていた。という笑い話がある。体のことでいうなら、何となく歯ががたついてきて、そのうち辞書や腕時計の日付けを見るのに、意識なしにツト手が伸びるようになる。ハにきて、メにきて・・・そして??に、ということらしい。

 しかし、何とはなしに額も秀で、人によっては鬢の辺りに白髪(しらがではない)も混じり加減でジンチク無害?、可愛い女のコも安心して近寄れるようになった中年紳士が、書類や新聞を見るとき、やおら胸のポケットから眼鏡を出してーーーという、その ”マ”は、口惜しくても若いモンには真似のできないカンロクだと思うが、如何なものか。

 物のことでいうなら、モノを粗末に出来ないのが中年。汽車弁をフタについた飯粒から食べ始める、と言うのはテイバンだが、新しいベルトを買ってきて、長すぎる部分を切って長さを調節した、その十センチの皮の切れ端が捨てられない。それがそのまま次の転勤のとき机の引き出しから出てきたりする。
 風呂に入ってザーッと湯を溢れさすことが出来ないのも中年。湯舟のすれすれの所から、あふれるお湯が勿体なくて、そこから先はしゃがめず、中腰でじっと息を殺していたりする。

 人から聞いた話だが、あるハンサム中年が、十歳も年をごまかして彼女と付き合っていた。事実、彼はそれでもバレないくらいサッソウとしていた。話の相槌も ”成る程”ではなく ”ホオントー”というくらい気を遣っていた。ところが、これが風呂から上がったとき、体を洗ったタオルを絞って体を拭いているところを見られて、見破られたと言う。若い人は、濡れた体をそのまゝバスタオルにくるんで拭くものなのだそうだ。

 中年は何も男ばかりにあるのではない。女の中年は・・・???。まあ、それはおくとして、女性が年を聞かれて ”何歳何ヶ月”と答えられるうちはまだ若い証拠。 ”五なの”とあいまいに答えたり ”幾つに見える?”とさりげなくはぐらかすようになれば、大体三十五以上。そのうち、”あの女は三十歳になるのに四十年もかかった”などと陰口を言われたりするようになる。 ”女性が三十を過ぎて、最初に忘れるのは自分の年齢”なのだそうだが、ある皮肉屋が言った「年をとるというのは、長生きする唯一の方法なのにーーー」。

 いずれにしても、 ”中年”という言葉のイメージーーー。夕陽が山の端に落ちるのを前にして、輝きはあるものゝ盛りは確実に遠くへ去りつゝあり、そしてそれが、決して取り戻すことの出来ない運命となれば、そこに一抹の寂しさが漂うのは拭いようもない。

 しかし、昭和のヒトケタ、フタケターーーとまさに日本の激動期を身をもって生き抜き、現在の日本の繁栄をもたらしたのは、いわゆる中年のたゆまない努力のたまものであった。そして今、心身ともに健全だというのなら、現代の日本(日石)を担うもの、動かすものこそ、あなたがた中年というべきではないか。
 オナカが少々出てきたっていいじゃない。昔の偉い人も詠っています。

   花は盛りに 月はくまなきをのみ 見るものかは・・・
 
 嗚 呼、花の中年!。
(77・S・52・7)